プライドは捨てない?
「プライドばかり高くて」- こんなちょっと厳しいことばがシニアに対して向けられることがあります。
頑固で自分の意見を曲げない、プライドが高すぎて周りの人と協調できない、何か頼んでも自分の仕事ではないと思っている、自分の能力を過信しすぎ、扱いづらいですよね、そんなことばが追い打ちをかけてきます。
会社で働くシニアの側からは、再雇用でこんなに給料が下がってしまって、管理職からもはずされ、年下の上司は自分を大事に扱ってくれない、情報も入ってこないし、プライドはズタズタだよ、という声があがるかもしれません。
プライドの問題は別にしても、組織内で管理職からポストオフした時、定年後の再就職の時、退職後に何かをしようと思った時に、自分が考える自分自身の価値と実際の「社会的価値」や「市場価値」との間にギャップを感じる経験をしたシニアは少なくないと思います。
ウェブ上の国語辞典で確認すると、プライドとは「自分の才能や個性、また、業績などに自信を持ち、他の人によって、自分の優越性・能力が正当に評価されることを求める気持。また、そのために品位ある態度をくずすまいとすること」とあります。誇り、自尊心、自負心、矜持ということばも同時に並んでいます。
ある英語辞典で「pride」を引いてみるとちょっと違うニュアンスで3つの意味が説明されていたので日本語にしてみました。ひとつは「自尊心、他の人からも正当な評価を受けるに値すると感じること」、次が「自分は他の人より重要でより優れていると感じること」。最後に「自分や自分の知っている人が何かよいことや困難なことを成し遂げた時に感じる幸福感」。
さらに探してみるとプライドに関する研究や調査もいろいろありました。
例えばある研究では、プライドには「本物の(authentic)」プライドと、「傲慢な(hubristic)」プライドがあるとしています。そして「本物の」プライドと「傲慢な」プライドを測定する「プライド尺度項目」が挙げられていました。(Tracy and Robins, "The Psychological Structure of Pride: A Tale of Two Facets", 2007)
「本物の」プライドとしては、成し遂げられた(accomplished)、成功した(successful)、達成した(achieved)、充足感(fulfilled)、自身の価値(self-worth)、自信(confident)、生産的(productive)という項目が挙げられています。
他方で「傲慢な」プライドにあるのは、鼻もちならない(snobbish)、思いあがった(pompous)、高慢な(stuck-up)、うぬぼれた(conceited)、自己中心的な(egotistical)、尊大な(arrogant)、独善的(smug)という項目です。
「本物の」プライドは、具体的に達成したことや社会的な行動について「自分はいいこと/すごいことをした」という意味を持つのに対して、「傲慢な」プライドは自分自身の固定的で全体的な側面に関するもので、「自分はいいやつ/すごいやつだ」というニュアンスを持つと説明している研究もありました。
同じプライドでもなんという違い!
日本語でプライドと言った時にはどうも「傲慢な」プライドに登場する項目に関連付けて使われることが多いような気がします。このあたりに「プライドを捨てられない」シニアに批判が向く背景があるのかもしれません。
羞恥心、罪悪感、プライドと年齢の関係についての調査によると、「本物の」プライドは歳をとるにしたがって増加していくのに対して、「傲慢な」プライドは若年から中年にかけて減少し65歳頃に最も低くなり、その後老年期になると増加するそうです。日本人は調査対象になっていない海外での調査のためか、日本で言われる「シニアはプライドが高い」というイメージとはちょっと違いますね。
また、「本物の」プライドは、生涯を通じてのウェルビーイング(心身ともに健康で社会的にも満たされた状態)を高めるのに対して、「傲慢な」プライドはウェルビーイングに負の影響を持つ傾向があるそうです。これは納得できます。
「プライドを捨てろ」とか言われて、「はい、わかりました」と言うほど単純ではない。捨てなくてもよい、捨ててはいけない「本物の」プライドもあるのです。