「平均」というもの

老後のお金の話になると、年金だけでは足りないので貯蓄が2千万円とか3千万円とか必要だとよく言われます。実際高齢者の貯蓄額はかなり高く、65歳以上の貯蓄額平均は2,324万円というデータもありました(令和4年版高齢社会白書)。「えっ、そんなに!」と思う方も少なくないでしょう。でもデータをよく見ると貯蓄額4,000万円以上が17.3%もいる一方で、600万円未満が26%いました。

貯蓄額平均はごく一部のリッチな人たちの影響で大きく上がってしまうので、本来は中央値(全てのデータを大きい順に並べた時ちょうど真ん中にくる数値)で見るべきなのでしょう。ちなみに同じ資料では65歳以上の貯蓄額中央値は1,555万円となっています。

中央値って何だったっけ?そんな疑問が頭に浮かんだシニアもいるかもしれません。シニアたちが中学生だった頃には、今とは違って資料を統計的に理解するという授業は多分まだなかったと思います。

中央値はあまり意識してこなかったシニアでも、これまでの人生で「平均」とはそれなりに縁があったのではないでしょうか。テストの点は平均点以上ならばとりあえずセーフ。給与も同期の平均程度ならまあまあと思っていませんでしたか。貯蓄額や給料、年金などお金にまつわることについてはある種の平均信仰があったのかもしれません。けれども今は事情が変わってきているようです。

経済格差の拡大が問題視される世の中で、富裕層の人数は増加傾向にあるそうです。日本では税制や社会保障制度で所得格差がある程度調整されてはいるものの、格差は依然として存在しています。ある調査によると資産額1億円以上の富裕層は全世帯の約2.5%程度にしか過ぎないのに、これら富裕層の純金融資産保有額は全世帯総額の約2割を占めているというのです。

学校の勉強はできる人もできない人もいたけれど、どんなにできても100点満点が最高だったので、一握りの優秀な生徒のためにクラスの平均点がとんでもなく高くなるという心配は無用でした。平均身長よりもちょっと低いことを気にしていた人もいるかもしれませんが、人間の身長はどんなに高くても2m台なので平均身長が雲をついて伸びていくこともありません。けれどもお金だけは青天井の世界がありそうです。

数値以外でも平均ということばはよく使われます。心理学では、他の人と比べて自分は平均以上であるととらえる認知バイアスを「平均以上効果」と言うそうです。例えば車を運転する人に尋ねると、多くの人が自分を平均より上のドライバーと思っているのだそうです。シニアの皆さんの中には人並み以上の仕事をしているという自負を持っていたのに、上司評価はいつもそれより低かったとほろ苦く思い出す方もいるかもしれません。数値を目の前につきつけられると事実と異なる認識は持ちにくいですが、数値化されない、あるいはされにくいことに対しては自分を過大評価してしまうというのはありがちなのでしょう。

現実には私たちの周りでは平均は消滅しつつあるような気もします。かつては、正社員として会社に勤めて、結婚して、子どもを産んで、マイホームを購入することが「平均的な幸福」と受け止められていた時代がありました。「平均的な家庭」ということばも最近はあまり使われなくなりました。仕事の場で多くの男性がこれまで歩んできた新卒から定年までの平均的なキャリアの道筋も辿りにくくなっているようです。

多様性が尊重される今の社会では、様々な分野で平均が意味を失って行くのかもしれません。

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