友だち

これまでに何かの調査で「親友はいますか?」とか「なんでも相談できるような友人が何人いますか?」などと聞かれたことがありますか。そのような時にちょっと戸惑ったり、答えに窮する経験をしたシニアもいるかもしれません。「若い時だったらすぐに答えられたかもしれないけど」とか「そもそも親友の定義をはっきりさせないと答えられないでしょう」という反応もありそうです。

長い間会社勤めをしていた人が定年退職すると仕事を通じたネットワークがなくなり、友だちの数も減るというのは実感としてわかります。中高年男性は友人づきあいが希薄な傾向がみられるという話も聞きます。自分の立場や考え方がある程度固まっている中高年は若い人と比べて新しい友だちを作りにくくなるのかもしれません。

「令和4年版高齢社会白書」によると「親しくしている友人・仲間をどの程度持っていると感じるか」という質問に回答した65歳以上の人のうち、「普通に持っていると感じる」人が39.1%、「少し持っていると感じる」人が35.1%でした。「普通に」とか「少し」というのはあくまで回答者の主観だと思いますが、友人や仲間を持っていない、あるいはほとんど持っていないと感じる高齢者も2割程度いました。

「友だち」の捉え方は人それぞれですが、一般的には自分と気の合う親しい人で、いっしょに遊んだり、おしゃべりしたり、飲んだり食べたりする人というイメージでしょうか。

考えてみると友だちにはある種の「レベル感」というか、付き合いの深さや密度でいくつかの階層があるように思います。まずは「親友」、次に「いい友だち」、その次が「ちょっとした友だち」、最後が「ただの知り合い」です。

お互いに心を許し合える、心から信頼できるような「親友」は若い時に時間と空間をある程度の期間共有しないと生まれにくい関係かもしれません。さらに社会人になってからも何か共通点を持ち続けないと親友関係の継続は難しい、そんな気がします。そのような機会に恵まれるとは限らないので、親友がいないというのは結構あることだと思います。

むしろ「いい友だち」が何人かいるほうが人生は豊かになりそうです。いい友だちというのは例えば部活、大学のゼミ、あるいは社会人生活の中でグループやチーム活動を通じてできあがった友だち関係で、1対1というよりも少人数の仲間たちかもしれません。比較的長い期間にわたって交流が続いて時々連絡しあったり、たまには集まったり、もし何かあればいつでも相談事や頼み事ができる、そんな友だちです。

「ちょっとした友だち」は例えばシニアの場合であれば、趣味の教室などで月に何回か会って話はするものの、それ以外の場所での交流はあまりないような友だち。

「ただの知り合い」は挨拶をする程度の相手。大学生はこのような知り合いを「よっ友」と言うようです。大学内や街中などで偶然出会ったら「よっ!」と軽く挨拶はかわしますが、それ以上の付き合いはない友だち、というよりも単なる知り合いです。

多くの人は年をとればとるほど周りの人との関係が希薄になっていくものではないでしょうか。日常のちょっとした家事が面倒になり、出かけるのもおっくうになって、人と会って話すと疲れるので家でじっとしているのが一番楽と思ったり。1年に1度の年賀状も止めてしまって。このようにして家族以外との関わりが間遠になってくるのは自然なことなのかもしれません。

また友だちに相談すると言っても、シニアの相談事はお金や相続、深刻な病気など、ちょっと重くて時に複雑です。友だちよりもむしろ専門家に相談するほうがよい場合もあるでしょう。

友だちは本当にありがたいものだと思いますが、シニア、特にリタイア後だいぶ年を経たシニアは「親友」とか「いい友だち」とかにはとらわれずに、「淡交」いわば淡い交わりを大切にしながら過ごして行くのも一つではないかと感じます。

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