女子大
2023年春の入学者が定員割れした私立大学は320校にもなり、初めて全私大の5割を超えたという話を聞きました。
少子化が進行しているにもかかわらず大学の数は増え続け、この50年間で大学数は倍増、国公私立合わせて約800校にもなっています。その内600校余りが私立大学です。現在50%を超える大学進学率が仮に今後さらに上昇していったとしても18歳人口が減っているので、大学定員が埋まらなくなるというのは自明の理という気がします。
このような中で最近その存在意義を特に問われているのが女子大です。戦後増加傾向にあった女子大ですが、1998年に98校とピークを迎えてからは緩やかな減少傾向に転じて、2023年7月時点で73校となっているそうです。一部の女子大の募集停止や共学化も時に話題にのぼります。
昭和の時代、有名女子大はそれなりのステイタスがあって、「お嫁さん候補」としても一定の人気を集めていました。シニアの皆さんの中には「〇〇女子大に憧れていた」という人もいるかもしれません。でも時代は大きく変わり、女子大を積極的に選択する人は今では少数派となっているようです。
男女が性別によって差別されることなく、様々な分野で対等に活躍する機会を得ることができる社会の実現が求められている中で、「男子大」はないのになぜ女子大があるのか、とその存在や役割に疑問が出されるのは理解できないことではありません。
1986年の男女雇用機会均等法施行以降、女性が企業等で働く機会は大きく拡大してきました。今でも女性の管理職比率は他の先進国に比較すると低いままですが、管理職になるかどうかにかかわらず多くの女性が男性と同様の役割を役所や企業で担っています。
大学の専攻分野でも従来女性が多かった文学部、いわゆる人文系から法律や経済、国際関係、社会学、さらには理系学部など女性が学ぶ分野は多岐に渡るようになりました。女子大も生き残りのために学部構成を変えてきています。文学部がなくなったり、家政学部が他の学部に変身したりしています。
このような変化の中で敢えて女子大として存在し続ける意義はどこにあるのでしょうか。
大学進学率が高まり、産業構造も製造業中心からサービス業に軸足が移り、社会・経済の状況も変わる中で大学教育も多様化してきています。高度な学問の追求の場、社会で即戦力となれるスキルを習得する場、専門的な資格取得のために学ぶ場などその位置づけも様々です。入試の多様化、海外からの留学生を積極的に受け入れる動き、若者だけでなく幅広い年代層を大学や大学院に呼び込もうとする動きなども見られます。
多様性という観点からは女子大も1つの選択肢になりうるのではないかと思います。
小さい頃からとても勉強ができて学業面では男女差を感じることなく生きてきた女性、仕事でも男性と同様に社会で主要な役割を得ていくことを当然と考える女性たちにとっては、共学大学へ進学することが当たり前過ぎる選択なのでしょう。
しかしジェンダーギャップが未だに大きな日本では性別役割分担意識は根強く、政治や経済の世界だけでなく、学校、職場、家庭など多くの場所で性別による役割分担を多くの人が意識しがちです。特に女性は男性という「他者」がいるためにかえって女性を意識してしまうということがありそうな気がします。
育った環境や社会の影響から自信が持てなかったり、自己肯定感が低かったり、女性だからということで一歩ひいてしまうような女性にとっては女性だけの特別な環境の中で学ぶことが有用な場合もあるかもしれません。また多くの女子大が学生の就職活動を手厚く支援していて、女子大は就職の面倒見がいいという話もよく聞きます。
大学の存在意義というのは大学が社会に提供する価値と言い換えてもよいと思います。教育という観点から考えると、大学がどのような学びの機会を学生に提供しているのか、どのような成果を生み出しているのかということ。例えば在校生や卒業生がその大学に行ってよかった、入学前に求めていたものが実現できた、学んだことや経験したことは自分にとって役立ったと思えればよいのでしょう。
定員割れの私立大学が50%にも達している今だからこそ共学であれ女子大であれ、学生をひきつけることができなくなった大学はその存在意義や価値が問われるべきで、それは女子大に限った話ではないと思うのです。